みにくいアヒルの子

いつまでも、みにくいアヒルの子 は やっていられないのです。
浸ってなんて居られません。


今までは、教養の幅を広げたくて、
自分と重なる部分の少ない他分野、異文化の人たちを求めて動いていたのですが、
それではもう目的まで見失い兼ねないため、そろそろ重い腰あげて、
これからは教養を深めていくために
自分と重なる部分の多い人たちを求めて動こうと思い直した、今日でした。 
遅い気づきです。もう26歳、来年は27歳と良い歳なんですが、いつまでも懲りないものです。


はやく、白鳥見つけないと!
はやく、白鳥にならないと!


もし、
本来ヒトは、白鳥なのだとしたら、私は
白鳥であることを思い出せない愚か者 です。

自分の羽で飛ぶ飛び方を知らない上にわざとどろんこになりたがる様な、
自覚の足らない自惚れや です。

目指す所が違うでしょう?

望んだってカエルにはなれないのに望む、という種類の願望。


そんな自分の願望よりも、自分の適正に素直に向き直る方がずっと、自分を信じられる
ということに気づき始めている時期なのでしょう。

昔はちゃんと分かって行動してたと思うのですが
最近はそれを一反否定して、相反する行動を起こすものだから、自ら自分を見失う道を突き進んでいる訳です。
それでは目的を見失うのも道理というものなのに、そんなことにも気が付かない程に後退してしまっている、私に
だからこそ、身の程を知らせるべきなのだと、

頑張ってる中学生達に囲まれてると殊更、奮い立つ訳です。。



それがきっと、本当にやりたいことのはずなのですから。